第57回GRS海外協力事業

イラク難民支援使節団
2003年(平成15年)6月10日―19日


バクダット市内での一枚


 


クラスター弾。バクダッド郊外ドーラにて。全長約150センチ、直径やく80センチ。こんな大きな物体が突然空から降ってくるのだ。円形状にもかかわらず砂漠に突き刺さってしまうのだからひとたまりもない。さらに、この爆弾の厄介なところは、中に200発もの小型爆弾が仕込まれていること。空中で分散してそれぞれが爆発するという仕組みになっている。さらに悪いことに、こういった爆弾には不発弾が残りやすい。この地域にも少なからず潜んでいるはずである



 


秘密警察敷地内にて。秘密警察があったこの場所は、ひどい空爆状態であった。爆撃を受けた所に2つ大城な穴があき、そこに人工的な泉が浮き上がった。ガイガカウンターで計測してみると、僅かではあるが針が振れた。しかし、この敷地内に住む住人はこの水を大切な生活用水として使用していた


 


バグダッド郊外にある難民キャンプ



 


 

 

当初、6月4日からグローバル・レインボーシップの一員として訪問する予定だったが、諸事情により五味団長のスケジュールが変更し、急遽予定を変更した。同10日より19日まで団員の一部とともにイラクを訪問した。

●イラク緊急レポート●
13年前の湾岸危機からイラクへの経済制裁も事実上緩和され2年前からは航空機もバクダッドへの乗り入れを開始していたが、今回の戦争でサッダーム国際空港は米軍によって破壊され使用不能。昔に逆戻りで、ヨルダンの首都アンマンからバスをチャターしてイラク入りした。
国境では米軍兵士がバスに乗り込んで来て、全員のパスポートと本人を一瞥して終了。入国スタンプを押してくれるわけでもなく、初のイラク訪問を果たした人にとっては少々落胆した感じであっただろう。全ての持ち物を検査され、手持ちの現金の額と携行するビデオ・カメラの製造番号をチェックされた昨年12月とはえらい違いだ。
前回まではイラクサイドの友好団体がホテル等全てを手配してくれていたので、彼らの指示の下行動を起こしていたが、今回は全てがゼロからの始まりであり、スケジュールも自分達で組まなければならない。英語が話せて車を持っているガイドと打ち合わせそれぞれが、病院を廻りどこでどれだけの医薬品を必要としているのか聞き取りをしてから配給をする。気の遠くなるような作業だ。
市内各所を廻ると政府の役所・通信施設等は米軍の空爆で破壊され、ミサイルが貫通した後が生々しく見てとれるが、その他の民家などは空爆の被害を受けると跡形もなく消滅してしまっているので、教えられなければ誰の廃墟なのか認識できない。
そして、略奪・焼き討ちにあった施設もいっけんしたところでは、爆撃によるものなのか見分けがつきにくい。米国は今回の戦争でイラク国民に自由を与えた。と胸を張る。たしかに略奪する自由・盗品を販売する自由・学校に行かない(行けない)自由、諸々の自由を与えた。あれほどまでに勤勉で節度を持ったイラク国民を、ほんの一部ではあるが暴走に走らせたのは誰だろうか。
戦争の傷痕さえ目にしなければグダッドの町並み、人々の様子は私が初めて訪れた20年前となんら変わるところがない。外国人を見れば、気軽に手を振る純真な笑顔を振りまく子供たち。しかし、そこには親族を亡くした暗い影を引きずる子供たちもいるだろう。
13年にも及ぶ経済制裁という村八分状態で世界の先進技術の取得から取り残された青年達。これからのイラクはどうなるのだろうか。

資料:国会タイムズ-1165号、1173号




















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