第26回GRS海外協力事業
ガーナ・ギニア友好使節団
1995年(平成7年)4月26日〜5月7日
使節団はマスコミにも登場し大いに話題を提供した
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シラレオーネ内戦で、80〜100万の難民が、国境を越えて押し寄せて来て森林が丸裸にされてしまった。大変な自然破壊だ――とギニア政府役人
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大統領夫人が会長の、女性と子供のための福祉基金に協力(ガーナ)
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4月26日から5月7日まで、ガーナとギニアを訪問していたGRS第26回「ガーナ・ギニア友好使節団」栗本慎一郎顧問、五味武団長14人は、難民救済と民間外交の目的を達成無事帰国した。 同訪問団は、ガーナでK・N・アーカー副大統領ほか、厚生、健康の両大臣に、またギニアで、フランソワ・ラウンゼニ・フォール外務大臣のほか、内務、開発の両大臣など、両国政府要人と相次いで懇談した。 また孤児、難民救済の関係機関、および女性福祉基金に、義援金・物資をさらに内乱で流出したシラレオーネ、リベリアの両難民キャンプへ大量の食料品、医薬品などの救援物資(5万ドル相当)を贈るなど、マスコミにも登場、大いに話題を提供した。
●奴隷輸出の歴史●
奴隷貿易が盛んだったころ、ガーナのケープコーストから、はてしない人数の黒人が奴隷として新大陸に輸送された。奴隷船の中で、黒人は手足を鎖で繋がれた状態ですし詰めに寝かされて何ヶ月もの航路をすごした。船の中での衛生状態は劣悪で、体力のないものから死んでいく。そして亡骸は海に捨てられた。これは比喩ではなく、当時の黒人は「物」として扱われていた。新大陸についても、待っているのは一生束縛された生活である。奴隷商は大勢の白人客の前で黒人奴隷の衣服を剥ぎ取り、「この黒人は発情期だから来年の夏には農場中が黒い赤んぼだらけになるよ」と売り物にした。奴隷の間にできた子供にも人権はない。ある日、マッサとよばれる白人の主人が家畜を売るように子供を売った。そして売られた子供には二度と会えない。 |