第7回GRS海外協力事業
    
フィリピン・バギオ地震視察慰問団
1990年(平成2年)8月8日〜12日



アキノ大統領と若王子事件以来の再会。日比、比日両議連を通じ4万ドルの義援金が贈られた


 


3人が生き埋めになった。文化遺産として貴重なアリンガイ教会も一瞬にして崩壊した


 


水没した村の住民約5500人が路線の上に小屋掛けいて住んでいる(アラスカ・サンロザリオ村)

 

 


 

フィリピン・バギオ地震視察慰問団は8月8日から12日までの5日間、被災地を訪れ、被災地救助に6万ドルの義援金と2万ドル相当の義援物資を贈った。なお、視察団はアキノ大統領と会見したほか、被災地担当のオルボス運輸大臣、アルバート上院議員(比・日議連会長)、マセダ上院議員、ホセデベネシア下院外交・予算委員長、ニイノ・アキノ氏の実弟であるアキノ・オレタ下院議員、そして、倒壊家屋の被害者が一番多かったラウニオン州のオルテガ知事など多数の要人らと会見した。 8日夕刻、日航機でマニラ入りした視察団は、9日午前、マニラホテルでオルボス運輸大臣と会見し、被災状況の説明を受けた。それによると、バギオまでの空、陸路はともに中断されているため、運輸逓信省の専用機を借用することのなった。 この日午後3時、視察団は山口敏夫、小坂憲次の両国会議員とともに、マラカニアン宮殿にアキノ大統領を表敬訪問し、比・日議員連盟の会長であるアルバート上院議員を通じて、義援物資購入のため、4万ドルの義援金をアキノ大統領に献納した。また、ゲリラ組織に誘拐された、カメラマン水野さん救出の立役者であるアントリオ・ビショップ司教の教会に一万ドルを寄付した。 またべつに1万ドルが、バギオ以上に家屋の倒壊が多かったダゴーバン地区へ、同地出身のホセ・デベネシア下院議員(現下院議長)を通じて贈った。 翌10日朝、一行は日本から持ち込んだ医薬品と、マニラのメーカーや問屋で仕入れた食料品を、運輸逓信省の双発機に積み込みバギオへ飛んだ。空港近くの工業団地、倒壊した工場に、まだ、100人以上が生き埋めになっているという。

●フィリピン・バギオ地震とは●
1990年7月16日、フィリピン北ルソンのバギオと、アゴーを中心に発生したマグニチュード7.7という激震に見舞われ、死傷者30000人、倒壊家屋3000軒の被害を出した。




















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