第5回GRS海外協力事業
タイ・カンボジア難民慰問団
1988年(昭和63年)10月16日〜21日
顔馴染みのソン・サン派幹部のトウ・トン氏と再会。ケオ・ルンディ所長に300万円の義援金と4トンの援助物資を贈る
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5万5000人といわれるシアヌーク派の難民が、全員迎えに出てくれたような人だかり。しかも整然と
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子供たちに囲まれてご満悦の五味団長
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マスコミ人、国会議員秘書など総勢36名が参加したタイ・カンボジア難民慰問団(五味武団長)は、10月16日から21日まで、タイ・カンボジア国境に点在する難民キャンプを慰問し、義援金1200万円と、医薬品、衣料、日用品、文房具などの義援物資10トン(2000万円相当)を贈呈した。 今回は、これまでのソン・サン派一か所にとどまらず、シアヌーク派、ポルポト派と、三つのキャンプを慰問した。しかも走行距離計2300キロ、所要時間延べ35時間という厳しいものだったが、団員のなかからは誰ひとり、音をあげる者も落伍者も出なかった。 義援金を含む総経費3200万円は、竹下首相をはじめ、各界からの協力によるもので、物資は日本医薬品工業からの抗生物質などの医薬品と衣類、食品等、重量にして約1トン半を日本航空の好意で空輸した。また、現地バンコクで、日用品、食品、文具、菓子など約8トン分を購入、合わせて10トン近い物資を、タイ国軍のトラックを借用して、「サイトB」シアヌーク派、「サイト8」ポルポト派、「サイト2」ソン・サン派およびベトナム難民等、三か所の難民キャンプへ搬入した。
●カンボジアの難民キャンプ●
1979年にポルポト政権が崩壊したことをきっかけに、カンボジアはポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派の3つの軍事勢力が対立することになった。戦闘により土地を追われたカンボジア市民たちは、それぞれの派閥が管轄する難民キャンプでの生活を強いられた。現地のレポートによると、特にポル・ポト派の難民キャンプ住民は厳しい生活を強いられていたようだ。
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