第4回GRS海外協力事業

フィリピン友好使節団
1987年(昭和62年)4月20日〜24日



アキノ大統領のスピーチを厳粛に受け止める使節団一行


 


不幸な事件が友好関係をそこないましたが、大統領閣下および、フィリピン国民の協力で解決を見た今、両国はより親密な関係を維持することでありましょう――と言上する五味団長


 


マラカニヤン宮殿内庭での記念撮影


 

若王子誘拐監禁事件で、日本中を震撼させたフィリピンに、アキノ政権下の政治経済情勢を視察のため、「日本マスコミ・文化人使節団」五味武団長以下35名は、4月20日から24日の5日間、首都マニラを訪問。アキノ大統領、シン枢機卿らに対し、若王子救出の努力に感謝を述べるとともに、イレト国防大臣、ベニグノ報道官をはじめ、外務、通産、警察、福祉、観光の主要閣僚らと歓談するなど、実り多い訪問となった。 この中で、ベニグノ報道官は、「大統領の直接命令で、若王子氏救出のためには、日本政府の依頼で、窓口が日本大使館のみになっていた。そのために極端に情報が不足、誤解のもとになった。これは日本政府との約束だが、若王子氏の生命を守ることを優先に、そうせざるを得なかった---」 「---日本側は若王子氏が解放されて、クラーク基地の病院に運ぶことを、何ら相談しないばかりか、事情聴取もしないまま、特別機で帰国してしまった。協力してくれたら、犯人を早く割り出せたかもしれない---」と、まるで堰を切ったように、これまでの沈黙を破って、新事実を語ってくれた。 さらに、日本の運輸省が、フィリピン観光自粛の大臣通達をだしたことで、フィリピン側は激怒し、なかでもマスコミは太平洋戦争当時の侵略行為を取りあげ、ジャップ!ジャップ!の活字が躍っていた。使節団は、その中心人物マックス・サリバン氏(スター紙主筆)と対決した。

●アキノ大統領とは●
フィリピン共和国第11代大統領(在職1986年 - 1992年)。マルコス政権下で夫のべニグノ・アキノ暗殺を契機に、妻のニコラソン・アキノが反マルコス独裁をかかげ1986年2月に大統領選挙に出馬。フィリピン市民はアキノを支持し第11代大統領に就任。マルコス前大統領は国を追われることになった。




















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